【画像168枚】斉藤由貴の若い頃の伝説エピソード8選!おとなしかった少女のアイドルから俳優への架け橋

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斉藤由貴の若い頃の伝説エピソード8選

斉藤由貴さんは1984年に第1回東宝「シンデレラ」オーディションのファイナリスト、同年の「少年マガジン」第3回ミスマガジンでグランプリに選ばれ芸能界入りを果たし、40年経った現在も活動している女優さんです。

アーティストとしても活躍していまして、シングル曲は2012年までリリースをしており、アルバムについては現在まで収録をしている実績があります。

若い頃からドラマや映画、舞台やコンサートなど多くの活動をしているのですが、デビューする前は神経質で引っ込み思案で学校に友達は少なく、いつも教室の隅で本を読んでいるようなおとなしい子でした。

そのような子がいきなり芸能界に入り、アイドルとして忙しい日々を送ることになったことだけでも驚くのですが、数々の伝説的なエピソードを残しています。

その中から厳選した「へぇ~!」と思えるようなエピソードをいくつか紹介していきたいと思います。

斉藤由貴の伝説エピソード8選

①初代スケバン刑事!麻宮サキの弱点判明!?実はヨーヨーが苦手だった…
②若かりし頃の唯一無二のコント初出演!共演はあの大物だった
③ポニーテールの秘密が明らかに…!?ヘアスタイルになった意外な理由!
④最大のヒット曲「夢の中へ」の振り付けを考案したのは斉藤由貴本人!?
⑤露出が少なくガードが固い斉藤由貴が映画の中で裸体を披露!?
⑥あの大御所の自伝エッセイの映画化に熱演しプレゼントを受け取っていた!
⑦アイドルから女優へ…2年連続アカデミー賞を受賞し青春映画スターの地位を確立!
⑧斉藤由貴がMCを務める伝説のトーク番組があった!

伝説エピソード①:初代スケバン刑事!麻宮サキの弱点判明!?実はヨーヨーが苦手だった…

スケバン刑事は1985年4月から半年に渡り放送したアクション学園ドラマです。由貴さんは主人公・麻宮サキが学生刑事として特命を受けて、刑務所に収監している母を助けるため、敵と対峙していく物語です。

敵と戦うのに使っていた武器が重合金ヨーヨーなのですが、ドラマの中では鮮やかにヨーヨーで敵を倒していく様に見応えがありました。

 

さて、このヨーヨーなのですが、実際に由貴さんは扱うのに慣れるまで時間が相当かかり、撮影時にもかなり苦労されていたようです。

当時19歳の斉藤由貴がスケバン刑事の撮影時、ヨーヨーに苦戦している様子

スケバン刑事の撮影中にヨーヨーNGで何度もテイクを重ねている

スケバン刑事のメイキング映像、「由貴、燃えます!メイキング・オブ スケバン刑事」の中でその一部始終を見ることができます。

劇中ではヨーヨー裁きによって、無敵の力を披露していた麻宮サキですが、実は何回も撮り直すほど失敗してたんですね。

NG回数がとても多いですね。監督にキレられていたかどうかはともかく、何回もの撮り直しで撮影が進まず、周りのスタッフさんもゲンナリしていました。

斉藤由貴がスケバン刑事の撮影中、ヨーヨーがうまくいかず何回もテイクを重ねています。

スケバン刑事の撮影中ヨーヨーがうまくいかずスタッフさんがイライラしている様子

この時のヨーヨーは結局うまくいかず、このシーン撮りを一旦中断する事態にまでなりました。

斉藤由貴のヨーヨーがうまくいかず、そのシーンの撮影を中断して次のシーンに取り掛かっています。

度重なるNGのため一旦中断して次のシーンに取り掛かっています

由貴さんはこの時の出来事をタモリさんの「笑っていいとも!」の中で話していました。その時の場面がこちらです。

斉藤由貴さんは過去のタモリさんの番組でスケバン刑事の撮影時のエピソードを話しています。

過去のタモリさんの番組内でスケバン刑事の撮影エピソードを話す斉藤由貴

斉藤由貴
斉藤由貴

世界チャンピオンの人が教えてくれたんですけど、
びっくりするくらいうまくならなかったです(笑)。

タモリ
タモリ

うまくならなかった!?

圧倒的な強さで犯罪者をねじ伏せてきたスケバン刑事・麻宮サキですが、このような感じでヨーヨーを使いこなせなかった事実があったんですね。とても意外でした。

 

ただ由貴さんの演技については、当時撮影の監督だった田中秀夫さんはとても高く評価をしていました。

田中秀夫さんはスケバン刑事の監督をやっていました。

スケバン刑事シリーズを手掛けた田中秀夫監督の撮影風景

 

田中秀夫監督の経歴をほんの少しですがここに紹介しておきます。

田中 秀夫 1933年11月24日 – 2011年7月9日(78歳没)
1956年(昭和31年) 愛知大学法経学部を卒業
1958年(昭和33年) 東宝映画撮影所で助監督となる
その後、東映テレビ・プロダクションに移籍
1965年(昭和40年) 『特別機動捜査隊』にて監督デビュー
1991年(平成3年) 数々の作品を手掛けて東映での仕事はこの年で最後
1995年(平成7年) 『北斗星一号DXロイヤルの殺意』を最後に事実上引退
主な監督作品 どっこい大作(1972年)、特捜最前線(1977年)、
仮面ライダースーパー1(1980年)、宇宙刑事シリーズ(1982年)、
スケバン刑事シリーズ(1985年)、はぐれ刑事純情派(1988年)、
世にも奇妙な物語(1990年)、女検事の事件ファイル(1993年)など

田中秀夫さんが手掛けた監督作品は相当の数でここに挙げたのはほんの少しです。頑固で簡単にOKを出さないほど仕事には厳しい人だったようです。

でも由貴さんに対しては、そのような厳しさは感じることなく接していたように見えるのですが、彼女に対していろいろ配慮をしていたのだろうと思います。

ゲン
ゲン

由貴ちゃんのスケバン刑事は動画配信で全部見たよ

由貴さんのスケバン刑事が1985年でしたから、この時の田中秀夫監督は29歳ということになります。由貴さんにはこれから女優としての可能性を見つめ、温かく見守っていたように感じます。

田中秀夫監督
田中秀夫監督

その場に入ってスタートして乗るまでがノロイんだよ、牛でね。
「さあ、行くよ」と言ってね、走り出すとすごくいい芝居をする。
そこに入れるまでがね、非常に苦労する。

斉藤由貴
斉藤由貴

最初は怖そうだな~と思っていたんだけど、
何度も何度もやっていくうちに本当に優しくていい人なんだな~
気を遣ってくれるんですよね。
私の体調のこととか、今では感謝しています。

監督の言葉を聞くとはっきり言ってるので怖いイメージが付きそうですが、スケバン刑事という作品をヒットさせたことは間違いありません。当時話題にもなっていました。

由貴さんの演技力と田中秀夫監督の技術力が合わさった素晴らしいドラマです。

斉藤由貴さんがスケバン刑事・麻宮サキとしてヨーヨーを構えて遠くを睨んでいます。

斉藤由貴演じるスケバン刑事・麻宮サキのキメ顔

ゲン
ゲン

スケバン刑事よ永遠に。だね!

伝説エピソード②:若かりし頃の唯一無二のコント初出演!共演はあの大物だった

共演した大物というのは「とんねるず」です。

とんねるずの石橋貴明と木梨憲武です。ガッツポーズをしています。

とんねるずの石橋貴明と木梨憲武

斉藤由貴さんが初めてコントしたのはいつだったのか調べてみますと、SNS上でこのようなコメントを見つけましたが…。

実はこの時のコントが初挑戦ではなくて、次のこちらの意見が正解かと思います。

私はとんねるず世代でしたので、過去に放送していた「みなさんのおかげです」をよく見ていました。仮面ノリダーとか(笑)。コントもたくさん見てきました。

その時に由貴さんが「みなさんのおかげです」でコントに出演していたのを覚えています。年齢的にその時が初めてだったんじゃないかな~、と思っています。

由貴さんは、1989年(平成元年)に放送した「とんねるずのみなさんのおかげです」の中の「集団就職によくある風景」に出演したことが最初のコントだったと思われます。

斉藤由貴さんが当時23歳の頃に出演したとんねるずのみなさんのおかげですの中のコントです。

1989年 とんねるずのみなさんのおかげです 「集団就職によくある風景」コント

とんねるずの芸風と言いますか、コントでの立ち振る舞いは基本的に好き勝手に暴れているような感じです。もちろんストーリーがあるので台本は存在すると思うのですが、タカさんとノリさんの二人のやりとりがメインでゲストの人はおまけのように見えてしまいます(笑)。

斉藤由貴さんが「とんねるずのみなさんのおかげです」の初コントに出演しています。

斉藤由貴「とんねるずのみなさんのおかげです」の初コントに出演

田舎から状況した由貴さんが集団就職で、とある美容室に新人として働き奮闘していくストーリーです。とは言ってもタカさんとノリさんが笑いをとっていくので、由貴さんはずっとタジタジしているところがこのコントの面白いところです。

「とんねるずのみなさんのおかげです」のコントに斉藤由貴が出演しています。美容室とスナックが舞台です。

集団就職で美容室のあとは、とあるスナックで働くことになった由貴

ストーリーは美容室からスナックに移るわけですが、結局そこもタカさんとノリさんの勢いに押されてる由貴さんでした(笑)。

でもセリフはありますし、話の流れはありますので楽しく見れます、由貴さん自身が笑いをとることはないのですが、初コントでも充分問題なかったです。

斉藤由貴が集団就職を題材とした初コントに出演。楽しそうに演じているところが印象的です。

集団就職を題材とした斉藤由貴の初コント 笑顔がかわいい

由貴さんのコント中に映る笑顔を見ますと、演じていて楽しそうだな~と感じました。

 

実は斉藤由貴さんは、このコントの後に2度目の「みなさんのおかげです」に出演し、再びコントに挑戦したことがあります。

とんねるずのコントでは映画のパロディをすることがあったのですが、斉藤由貴さんが主演した「優駿 ORACIÓN」のパロディです。

ちなみに「優駿 ORACIÓN」はみなさんご存じでしょうか。

斉藤由貴さんが主演した映画「優駿 ORACIÓN」のポスターです。

1988年 斉藤由貴主演映画「優駿 ORACIÓN」のポスター

「優駿 ORACIÓN」とはどんな映画?
●1988年に杉田成道監督によって映画化
●原作は宮本輝の小説『優駿』
●仔馬の誕生から成長までずっと見守り続けてきた人々が馬に人生の夢をかけた感動映画
●一頭の競走馬を巡り、さまざまな人々の生き様を描いている
●サブタイトルの「ORACION(オラシオン)」は仔馬の名前でスペイン語で「祈り」という意味
●斉藤由貴はオラシオンの持ち主で和具久美子という役柄
●キャストが豪華(緒形直人、吉岡秀隆、加賀まりこ、吉行和子、石橋凌、石坂浩二、田中邦衛、緒形拳、仲代達矢など)
優駿は由貴さんが当時22歳の頃に出演しまして、23歳にとんねるずの番組に集団就職のコントに初出演しましたので、優駿パロディに出てきたのはそのあとだったと思います。

「とんねるずのみなさんのおかげです」に登場した優駿パロディのタイトルは「優駿 ORACIÓN 2」です。

斉藤由貴さんが2度目の「とんねるずのみなさんのおかげです」に出演した時のコント「優駿 ORACIÓN 2」

「とんねるずのみなさんのおかげです」に登場したコント「優駿 ORACIÓN 2」

ストーリーは、ほぼ本家の「優駿 ORACIÓN」と同じ流れです。仔馬のオラシオンが産まれるのですが、完全にとんねるずのペースでぬいぐるみの馬を使うのですがほとんど悪ふざけです(笑)。

「とんねるずのみなさんのおかげです」に出演した斉藤由貴さんの2度目のコント「優駿 ORACIÓN 2」のコラージュ画像です。

親馬から産まれた仔馬オラシオンの誕生シーンと成長したオラシオンを見守るシーン

以上が由貴さんの初コントまとめでした。滅多に見られない貴重なシーンがたくさんありましたが、女優さんにとってバラエティー出演は一つの経験ではないかと思います。

台本にはない突然のアドリブ、リアクションなど普段のお芝居では経験できないことがバラエティー番組の中で求められることがあるため、デビューした最初の頃のバラエティー出演はとても勉強になる、とどこかで聞いたことがあります。

その経験が将来的にお芝居に生かされてきた証として、現在の斉藤由貴さんのご活躍を見ればよくわかりますよね。

ゲン
ゲン

今では大女優になった斉藤由貴さんは今後も現役でいくことを

宣言してたよ

伝説エピソード③:ポニーテールの秘密が明らかに…!?ヘアスタイルになった意外な理由!

斉藤由貴さんの若い頃の髪型と言えばポニーテールでしたね。「斉藤由貴=ポニーテール」と言うほどの定着がありました。

何よりもお似合いでしたのでなおさらです。当時はどの由貴さんを見てもポニーテールをしていたと思います。

斉藤由貴さんの若い頃はほとんどポニーテールでした。

斉藤由貴の若い頃の髪型のほとんどはポニーテールが多かった

SNS上でもポニーテールについていろんなコメントが出ています。

では、なぜこのように頻繁にポニーテールでいることが多かったのでしょう?その答えは実際に由貴さん本人がインタビューに答えたことがありました。

2015年(平成27年)1月21日に「週プレNEWS」のインタビュー記事で由貴さんがこんなことを言っています。

赤柴記者
赤柴記者

デビュー当時はポニーテール率が高かったですよね。

斉藤由貴
斉藤由貴

はい。実は美容院に行くのが面倒なので、髪の毛が伸びたら自動的に結んでいたんです。それがポニーテールにしたきっかけで、ものすごく適当な理由で私のヘアスタイルが決まりました(笑)。

インタビュー記事の中でポニーテールについて少しでしたが書かれていました。ちょっと意外でしたね。

デビュー当時の由貴さんのスケジュールはとてつもなくハードで美容院に行く暇すらなかったのが原因のようです。どれくらい忙しかったのかをインタビュー記事を参考にまとめてみました。

斉藤由貴デビュー当時は仕事量が過酷だった
●仕事は真夜中までが当たり前。夜明け前に仕事に出ていた
●移動はだいたい車で1年間で10万km走っていた
●走りすぎてすぐ車をつぶしていた
●移動中の車の中でお化粧、食事など…ほとんど車の中で生活していた
ゲン
ゲン

ひぇ~、これじゃあ髪を切りに行くヒマなんてないよね(涙)

当時はどんどん入ってくる仕事をこなすことで精一杯だったとのことで、髪は伸びるし後ろでくくったり結んだりしながら、毎日をしのいでいたようです。

それがたまたまだったのか、いつしか「斉藤由貴=ポニーテール」の誕生となったわけです。私たちから見ればそれで良かったんですけどね。ポニーテールかわいいですから(笑)。

斉藤由貴さんのポニーテールを集めたコラージュ画像です。やはりポニーテールが似合うのは由貴さんだけです。

斉藤由貴 ポニーテールまとめ

由貴さんの過去のインタビュー記事はこちらです。いろいろ書いてますので結構面白いですよ。良かったらどうぞ。

デビュー30周年の斉藤由貴が当時を振り返って語る「なんでこんなことをしてるんだろうって正直、違和感はあった」 - エンタメ - ニュース
今年30周年を迎える斉藤由貴。80年代のアイドル隆盛期、彼女もまたトップアイドルとして誰もが知る存在となった。しかし、本人はスターダムを駆け上がっていた実感はなかったという。 ■車の移動は1年間で1...

伝説エピソード④:最大のヒット曲「夢の中へ」の振り付けを考案したのは斉藤由貴本人!?

斉藤由貴さんの13番目のシングル「夢の中へ」は由貴さん自身の最大ヒット曲となり、46万枚の売り上げを記録しました。

「夢の中へ」は、もともと作詞、作曲した井上陽水さんのオリジナルであったものを斉藤由貴さんのバージョンにカバーしました。

そこで、注目をしたいのは由貴さんの独特の振り付けです。ちょっとこちらの動画をご覧ください。(音量注意してください。)

腰振り、足踏みのようなかわいい振り付けですよね。この振り付けなんですが、考案したのは斉藤由貴さん本人なんです。

この振り付けはたちまち話題になったそうですが、振り付けを決める際に前向きな感じではなかったようです。

斉藤由貴
斉藤由貴

歌はダメ。スポットライトを浴びると足がガクガクしちゃって。

あがらずに歌える人が信じられない。

もともと人前で歌うことに苦手意識を持っているらしく、進んでやっていたわけではないようです。ですが「何か振り付けをしなければ…」ということになったらしいのですが、、、

斉藤由貴
斉藤由貴

うちの事務所は女優さんの事務所で、アイドルなんて私が“実験動物第1号”みたいな感じで。

由貴さんが所属する事務所にアイドルの振り付けのノウハウがなかったみたいです。

斉藤由貴
斉藤由貴

ただ曲に乗ってあんな感じでやったら、みんなに笑われました。

そしてさらに、

斉藤由貴
斉藤由貴

これをやろうと決めたんじゃなくて、これ以外しようがなかった。

苦肉の策で、あの腰を振るようなダンスに決まったそうです。

多分ですがダンスの知識は持っていなかったと思いますし、由貴さんにしてみれば、半ば強引に振り付けを決めたのかもしれません。

でもそれが世間の注目を集め、大ヒットとなったわけですからすごいことだと思います。

ピー子
ピー子

私は由貴ちゃんの「夢の中へ」のダンス大好きよ♡

センパイ犬・ゴン
センパイ犬・ゴン

俺っちも好きだぜ!ゆーきちゃーん!!

ゲン
ゲン

センパイ、好きなのは振り付けどうこうより、由貴ちゃんのことだよね

「夢の中へ」の振り付けについてこちらのニュースに書かれています。

【1989年5月】夢の中へ/あの独特な振り付けで斉藤由貴最大のヒット曲に - スポニチ Sponichi Annex 芸能
★89年5月ランキング★
斉藤由貴 あの代表曲の個性的振り付けは自己流だった「あんな感じでやったら、みんなに笑われた」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
女優の斉藤由貴(56)が、2日放送の日本テレビ系「おしゃれクリップ」(日曜後10・00)にゲスト出演し、自身の代表曲の振り付け秘話を明かした。

伝説エピソード⑤:露出が少なくガードが固い斉藤由貴が映画の中で裸体を披露!?

斉藤由貴さんはデビュー後、アイドルとして活動し、のちに女優として名を大きくしていきました。当然ですが歌う時やお芝居などで露出の多い衣装を着ることはほとんどありません。

アイドル時代にグラビアで水着になったことはありましたね。写真集も出しています。1980年代は由貴さんを含めて、多くのグラビアを飾るアイドルたちが出始めた時代でもありました。

そんな由貴さんが裸体を披露することなどあるわけがない、と思いますよね。結論を言いますと半分は本当のことです。ただし、実写ではなくデッサンになります。

由貴さん主演の映画になるわけですが、こちらになります。

斉藤由貴さんが主演する映画、恋する女たちの表紙です。高井麻巳子さん、相楽晴子さんも表紙を飾っています。

斉藤由貴主演・映画「恋する女たち」の表紙

恋する女たち」は、氷室冴子さん原作の小説を映画化した作品で、恋に悩む3人の女子高生を描いた青春映画です。監督は大森一樹さんです。

問題の裸体(裸婦像デッサン)シーンですが、映画本編のラストのスタッフロールが流れるところで、こちらの映像を見ることができます。

映画「恋する女たち」のラストシーン、吉岡多佳子(斉藤由貴)の裸婦像

残念ながら規制に引っ掛かるため全部お見せすることはできませんのでご容赦ください。

吉岡多佳子(役:斉藤由貴)の友人、画家を目指す大江絹子(役:小林聡美)のために一肌脱いで描かせた一枚です。

実際に由貴さん本人がモデルになったかどうかは調べたのですが不明のままです。でも顔は間違いなく由貴さんですし、体格を見ますとかなり近そうなので本人…ということにしておきたいですね。

ゲン
ゲン

よーく見るとやっぱ由貴ちゃんだけどね。本人がこのデッサンについてコメントしているところは見つかってないよ

「実写ではないのか…」と思う人はいると思います。ですがこの話はこれで終わりではありません。映画の本編では、由貴さんが演じる吉岡多佳子の実家は石川県能美市にある辰口温泉の旅館を経営しています。

多佳子は実家の旅館に帰り、一人温泉に浸かって入浴を楽しんでいるシーンがあります。由貴さん にしてみれば入浴中を見せることは珍しいかもしれません。

その貴重なワンシーンはこちらです。

斉藤由貴さん、当時20歳の時の入浴シーンです。映画「恋する女たち」のワンカットです。

映画「恋する女たち」斉藤由貴の入浴シーン

こちらも少し見えてしまっている部分がありましたので隠させていただきました。このようなシーンを見れるのはあまりないことなので、詳しくは実際に映画をご覧いただければ良いかと思います。

ゲン
ゲン

由貴ちゃんさすがにここまでが限界かもね

 

この映画は由貴さんの裸体を拝むことだけが目的ではありません。ストーリーや出演する豪華なキャストにも注目してください。

「恋する女たち」とはどんな映画?
●1986年(昭和61年)に公開
●氷室冴子さんの同名小説を映画化。監督は大森一樹氏
●石川県金沢市を舞台に3人の女子高生の恋の悩みと成長していく姿を描いている
●女子高生役は斉藤由貴、高井麻巳子、相楽晴子の3人
●本編の雰囲気は重くなく、ユーモアとセンチメンタルに描かれているので共感しやすく全体的に見やすい。ストーリーは難しくない
●時代を感じさせる女子トークは必見
●女子3人にそれぞれ好きな人ができるが、斉藤由貴の片思いする相手が柳葉敏郎という驚き
●恋に前向きになりたいあなたのための名作

SNSでもこの映画に関するコメントが出ています。

さて、この映画に出演したキャストですが、豪華な面々に注目です。まとめましたのでご覧ください。

斉藤由貴主演「恋する女たち」に出演した、柳葉敏郎、相楽晴子、高井麻巳子、小林聡美、蟹江敬三、原田貴和子、中村育二、菅原薫のコラージュ画像です。

映画「恋する女たち」に出演したキャストの面々

現在、この中で芸能活動をしていない方もいらっしゃいますが、有名な俳優さんが多いですよね。3人の女子高生たちとどう関わるのか、に注目していただければと思います。もちろん本編の中で恋愛に絡む人もこの中に何人かいますよ。

あと由貴さんが恋に悩む姿もかわいくて必見です。それをどう乗り越えていくのか、ということも現代に通じるものがあるのではないでしょうか。

映画「恋する女たち」の主演を務めた斉藤由貴さんのコラージュ画像です。

映画「恋する女たち」の主演を務めた斉藤由貴のコラージュ画像

この映画の由貴さんの演技は好評でした。どことなく寂しげな表情でうるうるとした瞳で言われてしまうと気持ちが入っちゃいます。

映画「恋する女たち」主演の斉藤由貴さんです。「好きになってくれてありがと」の一言にメロメロです。

映画「恋する女たち」の斉藤由貴の名シーン「好きになってくれてありがと」

ゲン
ゲン

この映画の魅力が少しでもお伝えできたなら嬉しいです

センパイ犬・ゴン
センパイ犬・ゴン

俺っちももう一回見るぞ!

ピー子
ピー子

私なんかもう5回も見てるわよ

センパイ犬・ゴン
センパイ犬・ゴン

す、すげーな

伝説エピソード⑥:あの大御所の自伝エッセイの映画化に熱演しプレゼントを受け取っていた!

大御所とは黒柳徹子さんのことです。

黒柳徹子さんの自伝「窓ぎわのトットちゃん」が初のアニメ映画化ということでインタビューのワンカットです。

黒柳徹子の伝説的自伝「窓ぎわのトットちゃん」が初のアニメ映画化(2023年12月公開)

黒柳徹子さんは自伝エッセイをいくつか出版しており、その中の一つである「トットチャンネル」は1984年10月に新潮社から刊行されたのが最初です。(その後、新潮文庫から2回再刊行しています。)

そのトットチャンネルが1987年8月に大森一樹氏の監督、脚本によって映画化となり、主演を斉藤由貴さんが若かりし頃の黒柳徹子さんを演じたのです。

映画「トットチャンネル」の制作発表会の一場面です。左から大森一樹監督、黒柳徹子さん、斉藤由貴さん、高嶋政宏さんです。

1987年、映画「トットチャンネル」の制作発表会・左から大森一樹監督、黒柳徹子、斉藤由貴、高嶋政宏

原作者・黒柳徹子さんを元に大森監督を中心に豪華俳優陣の活躍によって完成した映画がこちらになります。

斉藤由貴主演の映画「トットチャンネル」のDVDパッケージ表面と裏面です。

1987年8月公開・斉藤由貴主演・映画「トットチャンネル」のDVDパッケージ

この映画は若い頃の黒柳徹子さんが日本で初めてテレビが放送されることをきっかけに、NHKで専属劇団員を募集している際に応募をし、試験会場に向かうところから物語が始まります。

空回りしたり失敗を乗り越えながら、個性派女優として成長していく様子をコメディタッチで描かれた青春映画です。

黒柳さんの自伝を元に作られた内容ですので、ほぼ実話で構成していますが一部アレンジしている箇所はあります。

SNSでもこの映画について様々なコメントが書かれています。

本題に入りますが、「トットチャンネル」のウィキペディアにこのような文章が書かれています。

本作のナレーションも担当した黒柳徹子は本作を鑑賞した際に涙を流して感激し、主演の斉藤が面会した折に大切にしていた指輪を斉藤へ贈っている。

黒柳徹子さんが自分を演じてくれた由貴さんに対し、感謝の気持ちと記念に指輪を贈ったそうです。

元々、黒柳さんと由貴さんはこれまでに伝説と言われている音楽番組「ザ・ベストテン」で何度か共演していましたので面識はありました。

斉藤由貴さんがザ・ベストテンに出演していた時の画像です。

ザ・ベストテンで黒柳徹子と共演していた斉藤由貴(右から黒柳徹子、斉藤由貴、中山美穂、小西博之)

そしてトットチャンネルの撮影がクランクアップを迎え、ザ・ベストテンに出演した時の映像がこちらです。

ザ・ベストテンに出演した斉藤由貴さんが黒柳徹子さんにお辞儀をしています。

ザ・ベストテンに出演した際に黒柳徹子にお辞儀をする斉藤由貴

会話の内容は残念ながらわからないのですが、由貴さんが黒柳さんにお辞儀をしているシーンです。お互いが感謝しあっているように見えます。ちなみに一番左にいるのが南野陽子さんです。スケバン刑事繋がりですね。

 

指輪について具体的に触れていた番組を見つけました。それは徹子の部屋です。
トットチャンネルの映画公開から11年後の1998年に出演した時の様子です。

1998年に斉藤由貴さんが徹子の部屋に出演した時の様子です。

1998年(平成10年)徹子の部屋に出演した際に以前にもらった指輪の話をする斉藤由貴

由貴さんの右手の小指に白く光っているのが、黒柳さんが由貴さんに贈ったと思われる指輪です。遠くてぼやけてるのではっきりとはわかりませんが、シンプルな花柄の指輪に見えます。

斉藤由貴さんが徹子の部屋で、以前に黒柳徹子さんからプレゼントされたイタリア製カメオリングを見せているところ

黒柳徹子が斉藤由貴へ贈ったイタリア製カメオリング

この時の二人の会話はこのように話していました。

黒柳徹子
黒柳徹子

私が初めてイタリアに行ったときに買った大切な指輪なんですが…。

その頃それくらいしか買えなかったんですよ、お金がなくて。
記念だったので…。持っててくださって嬉しいです

斉藤由貴
斉藤由貴

あの時にいただいたカードとこれとずっと持ってて…、

あ、今日せっかく(黒柳さんと)久し振りにお会いするから…(付けてきました)

黒柳徹子
黒柳徹子

珍しくお花が入っていたんでね。

斉藤由貴
斉藤由貴

カメオみたいになってますね。

黒柳徹子
黒柳徹子

カメオです。

斉藤由貴
斉藤由貴

みたいにだって(笑)すみません(笑)

黒柳徹子
黒柳徹子

いいですよ(笑)カメオみたいで(笑)
せっかく私の若い時をやっていただいたんでね、

記念だったので。(差し上げました。)
持ってていただいて嬉しいです。

斉藤由貴
斉藤由貴

もちろんです。

この会話を見て気付かれた方はいますでしょうか。由貴さんの言葉に黒柳さんからいただいた「カード」のことを言っていますね。どうやら指輪の他にメッセージカードも由貴さんに贈られたようです。

そして、カメオという言葉も出てきました。

カメオとは…?
大理石、貝殻などに浮き彫りを施した装飾品、工芸品のこと
では、黒柳さんが言っている花の形に施したカメオの指輪と言いますとこのような感じになります。
イタリア製カメオリングの一例で、花柄4種類のコラージュ画像です。

イタリア製カメオリングの一例(花柄)

由貴さんが身に付けている指輪とは違うと思いますが、参考としてこのような感じだと思います。どれも綺麗ですね。

値段は安いもので数千円高いもので10万以上で様々です。

カメオの模様は花柄だけではなく、いろんな形で楽しむことができます。

カメオリングのいろんな模様です。犬、猫、虫、人物、天使、スカル。

カメオリングの様々な模様

指輪だけではなく、ネックレスやブローチ、ペンダントなど様々な装飾品として売られています。ネットショップでも気軽に購入することができます。

 

このように由貴さんと黒柳さんとは、ザ・ベストテンのように司会者と出演アーティストの関係だけではなく、トットチャンネルのように原作者と出演俳優の関係があったわけなんですね。

では、映画「トットチャンネル」とはどのような映画だったのでしょう。深掘りしていきます。

「トットチャンネル」とはどんな映画?
●1987年8月、大森一樹監督、脚本、斉藤由貴主演で映画化
●黒柳徹子の自伝エッセイで1984年10月に新潮社より刊行
●黒柳徹子の幼少期を描いた「窓ぎわのトットちゃん」の続編
●日本で初めてテレビジョン放送を始めたNHK時代の専属女優として成長していく物語
●渡辺典子、村上里佳子(現:RIKAKO)、植木等、寺田農、三浦洋一など豪華キャスト
●高嶋政宏のデビュー作
●ナレーションは黒柳徹子本人
●現場のドタバタ感とコメディタッチで笑えることが多い反面、同期の仲間たちがオーディション落選したり別の道を歩むなどの理由で減っていく寂しさがなんともいえない
●斉藤由貴の純粋なキラキラ感と成長の壁に悩む姿の演技に感涙
●本編内で披露する斉藤由貴のダンスがかわいい
●キャッチコピーは「わたしは好奇心の食いしんぼう」

高嶋政宏さんのデビュー作には驚きましたね(笑)。黒柳さんがDVDの特典映像内で言っていましたが…。

黒柳徹子
黒柳徹子

高嶋さんはこの映画がデビュー作になってくれて良かったです。
高島さんに「デビュー作はなんですか?」と聞かれたら「トットチャンネルです。」と答えることになりますから(笑)。(宣伝になります(笑))

と、言っていたのは面白かったです。

全編通して見て感じたのは、改めて「由貴さんかわいいな~」でしたね。演技も素晴らしいですし、黒柳さんの若い頃がすごく素直で純粋だったところが由貴さんの役どころにぴったりでした。

映画「トットチャンネル」のシーン。斉藤由貴さんは当時21歳で役名は「黒柳」ではなく「柴柳徹子」でした。

映画「トットチャンネル」NHKの放送劇団オーディションのワンシーン

上の画像には若かりし頃の高嶋政宏さんが写っています。イケメンです。

当時のNHKの社屋も映っていました。黒柳さんが言うには、オーディション会場もこのような感じで映画でうまく再現されているようです。

映画「トットチャンネル」で映し出された当時のNHK社屋です。

映画「トットチャンネル」で映し出されたNHK社屋と左下は植木等

テレビの世界は普段はどういったものなのかはわからないのですが、この映画を見ますと少なからず「当時はこんなことしてたんだな~」と知ることができます。

映画「トットチャンネル」のワンシーンを集めたコラージュ画像です。

映画「トットチャンネル」のワンシーン 同期の仲間たちと楽しむ姿とレッスンに励む柴柳徹子

この映画では室井滋さんもほんの少しだけ登場したのですが、劇中「買い物ブギー」を歌ったのが、のちに歌手デビューしたそうです。

あとで記述していますが、由貴さんと室井滋さんのコンビでトーク番組をやっていたんですよ。

映画「トットチャンネル」のワンシーン。「買い物ブギー」を歌う室井滋の後ろで通行人役をしている柴柳徹子。

映画「トットチャンネル」のワンシーン 室井滋(中央上)、寺田農(左下)、渡辺典子(右下)の出演ワンカット

下の画像では柴柳徹子が番組の司会や芝居を放送していますが、当時は収録はなく全て生放送だったんですね。

右下の画像は由貴さんがダンスを披露しているのですが、めちゃくちゃかわいいです。

映画「トットチャンネル」のワンシーン。番組の司会、芝居、ダンスを斉藤由貴さんが披露しています。

映画「トットチャンネル」のワンシーン 番組司会、芝居、ダンスを披露

下の画像は本編の最後のほうです。仲間(渡辺典子)が結婚するため柴柳徹子のそばから離れるのですが、笑顔で別れるシーンがなんとも切ないですね。

左下の画像には三浦洋一さんも出演していましたが、なかなか良い味の役でした。好きな俳優さんの1人でした。

映画「トットチャンネル」のワンシーンです。左下に三浦洋一さんが写っています。

映画「トットチャンネル」のワンシーン 左下は三浦洋一が出演

この映画の内容はとてもわかりやすいので誰にでもおすすめができる作品です。機会がありましたらあなたも一度ご覧いただけたらと思います。

斉藤由貴さんが主演する映画「トットチャンネル」のポスターです。

斉藤由貴主演映画「トットチャンネル」のポスター

ゲン
ゲン

映画の本編時間は98分だよ。

柴柳徹子を演じるキラキラした由貴ちゃんはまさに青春映画にふさわしいです。

伝説エピソード⑦:アイドルから女優へ…2年連続アカデミー賞を受賞し青春映画スターの地位を確立!

由貴さんが高校を卒業したあとの1980年~1990年代は、テレビドラマをはじめ映画やCDリリース、舞台など多くの活動をしていました。

作詞家の一面を持つ彼女は、その得意分野を生かして詩、小説、エッセイなどの著作も手掛けてきました。活動の幅が広い分、この頃はずっと忙しかったんだろうと思われます。

中でも特に女優としてお芝居に注目され、ついに2年連続で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得した功績は大きいですね。

受賞した作品は以下の通りです。

斉藤由貴 第11回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞を受賞した作品
●恋する女たち(1986年12月公開・当時20歳)
●トットチャンネル(1987年8月公開・当時21歳)
斉藤由貴 第12回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞を受賞した作品
●「さよなら」の女たち(1987年12月公開・当時21歳)
●優駿(1988年7月公開・当時22歳)

監督・大森一樹氏とタッグを組んだ3部作というのがありまして、「トットチャンネル」、「恋する女たち」、「『さよなら』の女たち」で東宝青春映画スターの地位を築きました

他にも芸術選奨文部大臣新人賞第10回日本アカデミー賞新人俳優賞もとっていたりと今後の活躍が期待される女優として前進しました。

 

最初の優秀主演女優賞を獲得した第11回日本アカデミー賞では武田鉄矢さんと司会を務めていました。その時の画像がこちらです。

第11日本アカデミー賞授賞式の一場面、中央にとんねるず、両脇に武田鉄矢さんと斉藤由貴が立っています。

第11日本アカデミー賞授賞式の一場面。左から武田鉄矢、とんねるず、斉藤由貴

真ん中にとんねるずのお二人が立っていますが、なんの場面なんでしょうね。とにかく、由貴さんは司会を務めながらアカデミー賞を受賞した経験があります。すごいことですね。

第11回日本アカデミー賞において賞を受賞した斉藤由貴さんです。当時21歳でした。

第11回日本アカデミー賞において優秀主演女優賞を獲得した斉藤由貴の様子

SNSでもコメントが出ています。

ゲン
ゲン

アカデミー賞を獲るというのは、ある一定の条件をクリアして60人の審査委員からノミネートされること。そこから1200人の投票委員の投票で受賞者を決定します。

誰でも簡単に選ばれるような賞ではありません。

センパイ犬・ゴン
センパイ犬・ゴン

ハンパねーな

ピー子
ピー子

由貴ちゃんすごーい!

伝説エピソード⑧:斉藤由貴がMCを務める伝説のトーク番組があった!

ご存じの方はどれくらいいるんでしょうね。
由貴さんがMCを務めるトーク番組とは、「斉藤さんちのお客さま」です。

「斉藤さんちのお客さま」とはどんな番組?
●フジテレビ製作のトークバラエティ番組
●1987年5月1日から同年9月までの全16回を放送(放送時間は30分)
●斉藤由貴とメイド役の室井滋が毎回1人(組)のゲストを招いてトークをしていた
●室井滋は、メイド「姫草しげ」役で出演。斉藤由貴から「シゲー」と呼ばれていた
●今ではバラエティーには出演しない貴重なゲストが毎回登場していた
●斉藤由貴がメイン司会のトーク番組はこれが最初で最後

番組放送期間、回数ともに多くはなかったのですが、現在では考えられないようなトーク番組には滅多に出てくれない貴重なゲストが登場していました。

SNSでもコメントがいくつか挙げられています。

 

ではどのような人がゲストとして登場していたのかを一部ですがご紹介していきます。画像がぼやけて見づらいですがご了承ください。

斉藤由貴さんMCトーク番組「斉藤さんちのお客さま」に登場したゲストの面々です。高井麻巳子、山田邦子、小堺かずき、陣内孝則、谷村新司、渡辺謙。

斉藤由貴MCトーク番組「斉藤さんちのお客さま」に登場したゲストの面々

上の6人のゲストだけでも大物揃いですね。渡辺謙さんは今では海外の名俳優ですし、谷村新司さんもずいぶんお若いですね。

山田邦子さんも当時はテレビ番組に引っ張りだこでしたし、小堺一機さんもトークで長寿番組を築いた人だし、なぜこの番組が早く終わってしまったのか不思議なくらいです。

 

先ほどご紹介しました、映画「トットチャンネル」の仲間たちも出演しました。

斉藤由貴のトーク番組「斉藤さんちのお客さま」に出演した、映画「トットチャンネル」の仲間たちです。

「斉藤さんちのお客さま」に出演した、映画「トットチャンネル」の仲間たち

由貴さんを含めて映画で共演した5人ですが、会話はまるで友達同士の和気あいあいとした雰囲気でした。撮影が終わってもこうやって番組に遊びに来てくれるのってなんだか嬉しいですよね。

「斉藤さんちのお客さま」に出演した映画「トットチャンネル」4人のメンバーです。渡辺典子(左上)、村上里佳子(RIKACO)(右上)、綱浜直子(左下)、高嶋政宏(右下)。

「斉藤さんちのお客さま」に出演した映画「トットチャンネル」4人のメンバー 渡辺典子(左上)、村上里佳子(RIKACO)(右上)、綱浜直子(左下)、高嶋政宏(右下)

みんな1人ずついろんなお話をしていました。現在でもドラマで活躍している高嶋政宏さんはホント好青年で当時から女性に人気があったのではないでしょうか。

 

他にも注目したいのは、番組内での由貴さんと室井さんとの掛け合いも見ていて楽しいです。

「斉藤さんちのお客さま」のワンシーン。番組内ではお嬢様(斉藤由貴)とメイド(室井滋)の設定だが仲が良く気が合う2人でした。室井さんはメイドでありながらまるで母親のような斉藤の支え役だった。

「斉藤さんちのお客さま」の室井滋は斉藤由貴(お嬢様)を支えるメイド役だった

おもわずふざけている由貴さんを制止したり、時には2人でおもちゃで遊んでいて不思議な関係の2人です。

室井さんもトットチャンネルに出てましたからね。その時がきっかけでこの番組で一緒になったのかどうかはわからないのですが、どちらにせよ映画で繋がりを持てるのってすごくいいですよね。

由貴さんはこの番組の放送時、当時は21歳でしたが映画やドラマで注目を浴びていたこの年齢辺りが一番テレビ出演が多いような気がします。移動の車で生活するような毎日でしたから多忙だったのでしょうね。

トーク番組「斉藤さんちのお客さま」に出演中の斉藤由貴さんの2枚の画像です。当時21歳でした。

トーク番組で司会を務めた斉藤由貴の貴重なワンカット

由貴さんの数々の伝説エピソードいろいろ紹介しましたが、あなたが覚えていたエピソードはいくつあったでしょうか。「知らなかった~」、「久しぶりに思い出した~」など何か一つでも感じたことがありましたら嬉しいです。

ゲン
ゲン

伝説エピソードはこれでおしまい!
アイドル、女優、歌手といろんな面を持っていたけど、

どれが一番印象に残ったかな?

センパイ犬・ゴン
センパイ犬・ゴン

おれっちはダントツでポニーテールだぜ!

ピー子
ピー子

私は「夢の中へ」のかわいい振り付けかな~

ゲン
ゲン

今でも最新作の映画やドラマにも多数出演しているね
これからの活躍にも注目だよ

過去の代表的な作品で振り返る若き日の斉藤由貴の軌跡

これまで斉藤由貴さんは多くのドラマや映画に出演してきましたが、中でも特に代表的な作品をご覧いただきながら時系列でご紹介をしていきます。

斉藤由貴年表①1984年(昭和59年)18歳・第3回ミスマガジングランプリ獲得、1985年(昭和60年)19歳・ドラマ・野球狂の詩、1986年(昭和61年)20歳・NHKドラマ・はね駒、1987年(昭和62年)21歳・映画・さよならの女たち

斉藤由貴年表①1984年(昭和59年)18歳~1987年(昭和62年)21歳

斉藤由貴年表②1988年(昭和63年)22歳・ドラマ・あそびにおいでョ、1989年(平成元年)23歳・映画・君は僕をスキになる、1990年(平成2年)24歳・ドラマ・はいすくーる落書2、1991年(平成3年)25歳・映画・おいしい結婚

斉藤由貴年表②1988年(昭和63年)22歳~1991年(平成3年)25歳

斉藤由貴年表③1992年(平成4年)26歳・ドラマ・・女事件記者 立花圭子、1993年(平成5年)27歳・映画・同窓会、1994年(平成6年)28歳・ドラマ・福井さんちの遺産相続、1995年(平成7年)29歳・NHK大河ドラマ 吉宗

斉藤由貴年表③1992年(平成4年)26歳~1995年(平成7年)29歳

斉藤由貴年表④1996年(平成8年)30歳・ドラマ・ドラマ・暴力教師〜君に伝えたいこと、1997年(平成9年)31歳・ドラマ・美人三姉妹温泉芸者が行く!4、1998年(平成10年)32歳・映画・あ、春、1999年(平成11年)33歳・ドラマ・別れたら好きな人

斉藤由貴年表④1996年(平成8年)30歳~1999年(平成11年)33歳

斉藤由貴年表⑤2000年(平成12年)34歳・ドラマ・救命救急センター、2001年(平成13年)35歳・ドラマ・江戸小紋殺人事件、2002年(平成14年)36歳・ドラマ・京都新婚旅行殺人事件、2003年(平成15年)37歳・ドラマ・人面蒼

斉藤由貴年表⑤2000年(平成12年)34歳~2003年(平成15年)37歳

斉藤由貴年表⑥2006年(平成18年)40歳・ドラマ・吾輩は主婦である、2007年(平成19年)41歳・ドラマ・お・ばんざい、2009年(平成21年)43歳・ドラマ・小公女セイラ、2010年(平成22年)44歳・ドラマ・同窓会〜ラブ・アゲイン症候群

斉藤由貴年表⑥2006年(平成18年)40歳~2010年(平成22年)44歳

ピー子
ピー子

多忙な時期だと1年の中でいくつもの作品を出してきてるわよ

センパイ犬・ゴン
センパイ犬・ゴン

紹介しきれねーけど、仕方ないよな
やりこなしてきた由貴ちゃんすげーわ

ゲン
ゲン

年代の後半では画像の入手が難しかったのがあったので、

見送らせていただいた年代があります

斉藤由貴のプロフィール

本名 小井 由貴(いさらい ゆき)
生年月日 1966年9月10日
年齢(2024年5月現在) 57歳
出生地 神奈川県横浜市
身長 161cm
血液型 B型
職業 女優、歌手、作詞家
ジャンル テレビドラマ、映画、舞台、J-POP
事務所 東宝芸能

まとめ

斉藤由貴さんの伝説エピソードについて紹介をしましたが、いかがでしたでしょうか。「聞いたことあったけど詳しくわかった!」、「知らなかったけどこの記事でよくわかった~」などいろいろ思ってくれたならとても良かったです。

現在でも映画やドラマなど多数の出演で活躍を続けていますが、生涯女優としてこれからも注目していきたいですね。

最後までありがとうございました。

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