【画像168枚】斉藤由貴の若い頃の伝説エピソード8選!おとなしかった少女のアイドルから俳優への架け橋

芸能

斉藤由貴の若い頃の伝説エピソード8選

斉藤由貴さんは1984年に第1回東宝「シンデレラ」オーディションのファイナリスト、同年の「少年マガジン」第3回ミスマガジンでグランプリに選ばれ芸能界入りを果たし、40年経った現在も活動している女優さんです。

アーティストとしても活躍していまして、シングル曲は2012年までリリースをしており、アルバムについては現在まで収録をしている実績があります。

若い頃からドラマや映画、舞台やコンサートなど多くの活動をしているのですが、デビューする前は神経質で引っ込み思案で学校に友達は少なく、いつも教室の隅で本を読んでいるようなおとなしい子でした。

そのような子がいきなり芸能界に入り、アイドルとして忙しい日々を送ることになったことだけでも驚くのですが、数々の伝説的なエピソードを残しています。

その中から厳選した「へぇ~!」と思えるようなエピソードをいくつか紹介していきたいと思います。

斉藤由貴の伝説エピソード8選

①初代スケバン刑事!麻宮サキの弱点判明!?実はヨーヨーが苦手だった…
②若かりし頃の唯一無二のコント初出演!共演はあの大物だった
③ポニーテールの秘密が明らかに…!?ヘアスタイルになった意外な理由!
④最大のヒット曲「夢の中へ」の振り付けを考案したのは斉藤由貴本人!?
⑤露出が少なくガードが固い斉藤由貴が映画の中で裸体を披露!?
⑥あの大御所の自伝エッセイの映画化に熱演しプレゼントを受け取っていた!
⑦アイドルから女優へ…2年連続アカデミー賞を受賞し青春映画スターの地位を確立!
⑧斉藤由貴がMCを務める伝説のトーク番組があった!

伝説エピソード①:初代スケバン刑事!麻宮サキの弱点判明!?実はヨーヨーが苦手だった…

スケバン刑事は1985年4月から半年に渡り放送したアクション学園ドラマです。由貴さんは主人公・麻宮サキが学生刑事として特命を受けて、刑務所に収監している母を助けるため、敵と対峙していく物語です。

敵と戦うのに使っていた武器が重合金ヨーヨーなのですが、ドラマの中では鮮やかにヨーヨーで敵を倒していく様に見応えがありました。

 

さて、このヨーヨーなのですが、実際に由貴さんは扱うのに慣れるまで時間が相当かかり、撮影時にもかなり苦労されていたようです。

当時19歳の斉藤由貴がスケバン刑事の撮影時、ヨーヨーに苦戦している様子

スケバン刑事の撮影中にヨーヨーNGで何度もテイクを重ねている

スケバン刑事のメイキング映像、「由貴、燃えます!メイキング・オブ スケバン刑事」の中でその一部始終を見ることができます。

劇中ではヨーヨー裁きによって、無敵の力を披露していた麻宮サキですが、実は何回も撮り直すほど失敗してたんですね。

NG回数がとても多いですね。監督にキレられていたかどうかはともかく、何回もの撮り直しで撮影が進まず、周りのスタッフさんもゲンナリしていました。

斉藤由貴がスケバン刑事の撮影中、ヨーヨーがうまくいかず何回もテイクを重ねています。

スケバン刑事の撮影中ヨーヨーがうまくいかずスタッフさんがイライラしている様子

この時のヨーヨーは結局うまくいかず、このシーン撮りを一旦中断する事態にまでなりました。

斉藤由貴のヨーヨーがうまくいかず、そのシーンの撮影を中断して次のシーンに取り掛かっています。

度重なるNGのため一旦中断して次のシーンに取り掛かっています

由貴さんはこの時の出来事をタモリさんの「笑っていいとも!」の中で話していました。その時の場面がこちらです。

斉藤由貴さんは過去のタモリさんの番組でスケバン刑事の撮影時のエピソードを話しています。

過去のタモリさんの番組内でスケバン刑事の撮影エピソードを話す斉藤由貴

斉藤由貴
斉藤由貴

世界チャンピオンの人が教えてくれたんですけど、
びっくりするくらいうまくならなかったです(笑)。

タモリ
タモリ

うまくならなかった!?

圧倒的な強さで犯罪者をねじ伏せてきたスケバン刑事・麻宮サキですが、このような感じでヨーヨーを使いこなせなかった事実があったんですね。とても意外でした。

 

ただ由貴さんの演技については、当時撮影の監督だった田中秀夫さんはとても高く評価をしていました。

田中秀夫さんはスケバン刑事の監督をやっていました。

スケバン刑事シリーズを手掛けた田中秀夫監督の撮影風景

 

田中秀夫監督の経歴をほんの少しですがここに紹介しておきます。

田中 秀夫 1933年11月24日 – 2011年7月9日(78歳没)
1956年(昭和31年) 愛知大学法経学部を卒業
1958年(昭和33年) 東宝映画撮影所で助監督となる
その後、東映テレビ・プロダクションに移籍
1965年(昭和40年) 『特別機動捜査隊』にて監督デビュー
1991年(平成3年) 数々の作品を手掛けて東映での仕事はこの年で最後
1995年(平成7年) 『北斗星一号DXロイヤルの殺意』を最後に事実上引退
主な監督作品 どっこい大作(1972年)、特捜最前線(1977年)、
仮面ライダースーパー1(1980年)、宇宙刑事シリーズ(1982年)、
スケバン刑事シリーズ(1985年)、はぐれ刑事純情派(1988年)、
世にも奇妙な物語(1990年)、女検事の事件ファイル(1993年)など

田中秀夫さんが手掛けた監督作品は相当の数でここに挙げたのはほんの少しです。頑固で簡単にOKを出さないほど仕事には厳しい人だったようです。

でも由貴さんに対しては、そのような厳しさは感じることなく接していたように見えるのですが、彼女に対していろいろ配慮をしていたのだろうと思います。

ゲン
ゲン

由貴ちゃんのスケバン刑事は動画配信で全部見たよ

由貴さんのスケバン刑事が1985年でしたから、この時の田中秀夫監督は29歳ということになります。由貴さんにはこれから女優としての可能性を見つめ、温かく見守っていたように感じます。

田中秀夫監督
田中秀夫監督

その場に入ってスタートして乗るまでがノロイんだよ、牛でね。
「さあ、行くよ」と言ってね、走り出すとすごくいい芝居をする。
そこに入れるまでがね、非常に苦労する。

斉藤由貴
斉藤由貴

最初は怖そうだな~と思っていたんだけど、
何度も何度もやっていくうちに本当に優しくていい人なんだな~
気を遣ってくれるんですよね。
私の体調のこととか、今では感謝しています。

監督の言葉を聞くとはっきり言ってるので怖いイメージが付きそうですが、スケバン刑事という作品をヒットさせたことは間違いありません。当時話題にもなっていました。

由貴さんの演技力と田中秀夫監督の技術力が合わさった素晴らしいドラマです。

斉藤由貴さんがスケバン刑事・麻宮サキとしてヨーヨーを構えて遠くを睨んでいます。

斉藤由貴演じるスケバン刑事・麻宮サキのキメ顔

ゲン
ゲン

スケバン刑事よ永遠に。だね!

伝説エピソード②:若かりし頃の唯一無二のコント初出演!共演はあの大物だった

共演した大物というのは「とんねるず」です。

とんねるずの石橋貴明と木梨憲武です。ガッツポーズをしています。

とんねるずの石橋貴明と木梨憲武

斉藤由貴さんが初めてコントしたのはいつだったのか調べてみますと、SNS上でこのようなコメントを見つけましたが…。

実はこの時のコントが初挑戦ではなくて、次のこちらの意見が正解かと思います。

私はとんねるず世代でしたので、過去に放送していた「みなさんのおかげです」をよく見ていました。仮面ノリダーとか(笑)。コントもたくさん見てきました。

その時に由貴さんが「みなさんのおかげです」でコントに出演していたのを覚えています。年齢的にその時が初めてだったんじゃないかな~、と思っています。

由貴さんは、1989年(平成元年)に放送した「とんねるずのみなさんのおかげです」の中の「集団就職によくある風景」に出演したことが最初のコントだったと思われます。

斉藤由貴さんが当時23歳の頃に出演したとんねるずのみなさんのおかげですの中のコントです。

1989年 とんねるずのみなさんのおかげです 「集団就職によくある風景」コント

とんねるずの芸風と言いますか、コントでの立ち振る舞いは基本的に好き勝手に暴れているような感じです。もちろんストーリーがあるので台本は存在すると思うのですが、タカさんとノリさんの二人のやりとりがメインでゲストの人はおまけのように見えてしまいます(笑)。

斉藤由貴さんが「とんねるずのみなさんのおかげです」の初コントに出演しています。

斉藤由貴「とんねるずのみなさんのおかげです」の初コントに出演

田舎から状況した由貴さんが集団就職で、とある美容室に新人として働き奮闘していくストーリーです。とは言ってもタカさんとノリさんが笑いをとっていくので、由貴さんはずっとタジタジしているところがこのコントの面白いところです。

「とんねるずのみなさんのおかげです」のコントに斉藤由貴が出演しています。美容室とスナックが舞台です。

集団就職で美容室のあとは、とあるスナックで働くことになった由貴

ストーリーは美容室からスナックに移るわけですが、結局そこもタカさんとノリさんの勢いに押されてる由貴さんでした(笑)。

でもセリフはありますし、話の流れはありますので楽しく見れます、由貴さん自身が笑いをとることはないのですが、初コントでも充分問題なかったです。

斉藤由貴が集団就職を題材とした初コントに出演。楽しそうに演じているところが印象的です。

集団就職を題材とした斉藤由貴の初コント 笑顔がかわいい

由貴さんのコント中に映る笑顔を見ますと、演じていて楽しそうだな~と感じました。

 

実は斉藤由貴さんは、このコントの後に2度目の「みなさんのおかげです」に出演し、再びコントに挑戦したことがあります。

とんねるずのコントでは映画のパロディをすることがあったのですが、斉藤由貴さんが主演した「優駿 ORACIÓN」のパロディです。

ちなみに「優駿 ORACIÓN」はみなさんご存じでしょうか。

斉藤由貴さんが主演した映画「優駿 ORACIÓN」のポスターです。

1988年 斉藤由貴主演映画「優駿 ORACIÓN」のポスター

「優駿 ORACIÓN」とはどんな映画?
●1988年に杉田成道監督によって映画化
●原作は宮本輝の小説『優駿』
●仔馬の誕生から成長までずっと見守り続けてきた人々が馬に人生の夢をかけた感動映画
●一頭の競走馬を巡り、さまざまな人々の生き様を描いている
●サブタイトルの「ORACION(オラシオン)」は仔馬の名前でスペイン語で「祈り」という意味
●斉藤由貴はオラシオンの持ち主で和具久美子という役柄
●キャストが豪華(緒形直人、吉岡秀隆、加賀まりこ、吉行和子、石橋凌、石坂浩二、田中邦衛、緒形拳、仲代達矢など)
優駿は由貴さんが当時22歳の頃に出演しまして、23歳にとんねるずの番組に集団就職のコントに初出演しましたので、優駿パロディに出てきたのはそのあとだったと思います。

「とんねるずのみなさんのおかげです」に登場した優駿パロディのタイトルは「優駿 ORACIÓN 2」です。

斉藤由貴さんが2度目の「とんねるずのみなさんのおかげです」に出演した時のコント「優駿 ORACIÓN 2」

「とんねるずのみなさんのおかげです」に登場したコント「優駿 ORACIÓN 2」

ストーリーは、ほぼ本家の「優駿 ORACIÓN」と同じ流れです。仔馬のオラシオンが産まれるのですが、完全にとんねるずのペースでぬいぐるみの馬を使うのですがほとんど悪ふざけです(笑)。

「とんねるずのみなさんのおかげです」に出演した斉藤由貴さんの2度目のコント「優駿 ORACIÓN 2」のコラージュ画像です。

親馬から産まれた仔馬オラシオンの誕生シーンと成長したオラシオンを見守るシーン

以上が由貴さんの初コントまとめでした。滅多に見られない貴重なシーンがたくさんありましたが、女優さんにとってバラエティー出演は一つの経験ではないかと思います。

台本にはない突然のアドリブ、リアクションなど普段のお芝居では経験できないことがバラエティー番組の中で求められることがあるため、デビューした最初の頃のバラエティー出演はとても勉強になる、とどこかで聞いたことがあります。

その経験が将来的にお芝居に生かされてきた証として、現在の斉藤由貴さんのご活躍を見ればよくわかりますよね。

ゲン
ゲン

今では大女優になった斉藤由貴さんは今後も現役でいくことを

宣言してたよ

ポニーテール㊙エピソード&ヒット曲「夢の中へ」の振付け誕生秘話は次へ!

コメント

  1. Hello there, just became alert to your blog through Google,
    and found that it is truly informative. I’m gonna watch
    out for brussels. I will appreciate if you continue this in future.
    A lot of people will be benefited from your writing.
    Cheers! Lista escape roomów

  2. TerraL より:

    I like this web blog it’s a master piece! Glad I noticed this on google..

  3. zoritoler imol より:

    I like this post, enjoyed this one regards for putting up. “To the dull mind all nature is leaden. To the illumined mind the whole world sparkles with light.” by Ralph Waldo Emerson.

タイトルとURLをコピーしました