石破茂の若い頃の伝説エピソード8選
石破茂さんは政治家として30数年にわたり続けています。その経歴はかなり多く、世間的により多くの人が知っていることかと思います。

2024年9月 石破茂氏、自民党総裁選の意欲を示す
いくつかの政党を渡り歩き、2024年9月27日の自民党総裁選で高市氏との決選投票において、石破茂さんが勝利しました。

2024年9月27日 自民党総裁選において高市氏を破り石破茂氏が新総裁へ
そして同年10月1日をもって正式に石破新内閣が誕生しました。

2024年10月1日に石破新内閣が正式に発足
では、政治家になるまでの若い頃の茂さんはどのような人なのかご存じな方はどれくらいいますでしょうか。
茂さんの両親やその家系、茂さんがこよなく愛しているもの、実は驚くこともありますが私たちにとっても親近感を感じるものだったりするのです。
ここでは、石破茂さんの若い頃のエピソードについていくつかご紹介します。
②父・石破二郎とはどんな人物?茂が育ったのは鳥取県
③国語教員だった母から毎晩偉人伝の朗読をさせられていた
④高校時代からアイドル歌手グループ「キャンディーズ」の大ファン!
⑤学生時代からの鉄道マニア!お気に入りの寝台特急を1000回以上利用していた!
⑥大学2年に全日本学生法律討論会で1位を取る
⑦大学時代に一目惚れ!?8年の恋愛!お相手は佳子夫人
⑧政界入りは父の友人だった田中角栄の一言で決断!
伝説エピソード①:茂の出生時に病院は茂の父親の秘書を実の父だと思っていた!?
石破茂さんは昭和32年(1957年)2月4日に東京都千代田区にて産まれました。
今をときめく、石破茂先生
出生地は東京だったのね
鳥取県八頭郡八頭町出身だと思い込んでいた
— 猫之助 🐈⬛ 「敬牛🐃愛虎🐅2024」 (@nekonosuke4649) August 26, 2024
鳥取県出身と言われていますが、生まれは東京だったんですね。鳥取県に転居したのは翌年のことです。これについてはあとでお話します。

石破茂の幼少期の写真 父・二朗と母・和子との間の子供
茂さんが生まれた時、父の二朗さんの年齢は48歳だったのですが、当時二朗さんの秘書だった高岩迪資さんによると以下のことがウィキペディアに書かれていました。
自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩を茂の父親と間違えたことがあったという。
二朗さんはほぼ病院に行くことはせず、秘書の高岩さんに任せていたことで、このようなエピソードが生まれたんですね。

ちなみに秘書の高岩さんの下の名前「迪資」はどのように読むのかな??
みちすけ…かな?
茂さんのご家族の構成にも驚きです。ご両親もご姉妹も皆、エリートなんです。
母・和子 ⇒ 元国語教員
長女 ⇒ 英語教員
次女 ⇒ 歴史教員
伝説エピソード②:父・石破二郎とはどんな人物?茂が育ったのは鳥取県
石破茂さんの生まれは東京でしたが、翌年の昭和33年(1958年)に鳥取県に転居しました。その理由はウィキペディアにこのように書かれています。
1958年に父・石破二朗が鳥取県知事に就任したため、鳥取県へ転居。中学校卒業まで鳥取県八頭郡八頭町で育つ。そのため茂には幼少期の東京での記憶がない。
石破茂さんの父である二朗さんの出身は元々は鳥取県であり、知事として最初に就任したのが1958年、1962年11月に二度目の再任、三度目が1966年11月、四度目が1970年11月で計4回鳥取県知事として活動をしていました。
1974年2月に知事を辞任し、同年7月に参議院議員として当選しています。
さて、その二朗さんとはどのような人物だったのか?
石破茂の父親は鳥取県知事や自治大臣を務めた石破二朗です。
— 我日本人 (@warenipponjin) February 15, 2024
鳥取県では知る人は多いかと思います。故郷の鳥取県に対して人一倍、思い入れがあったようです。

石破二朗氏 当時48歳 1955年 建設事務次官時
石破二朗さんのプロフィールを簡単にまとめましたのでご覧ください。
生年月日 | 1908年(明治41年)7月29日 |
出生地 | 鳥取県八頭郡(やずぐん)大御門村(おおみかどそん)大字殿 |
没年月日 | 1981年(昭和56年)9月16日 (73歳没) |
死没地 | 鳥取県鳥取市(鳥取県立中央病院) |
出身校 | 東京帝国大学法学部法律学科卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
さらに二朗さんのことをもう少し掘り下げた内容がこちらです。これでなんとなく人柄やイメージなど想像ができそうです。
二朗さんはとにかく経歴がとんでもなくすごい人でした。仕事一筋だったのではないでしょうか。その一方で義理や人情に厚い方でもあります。
ただの地方政治家じゃありません。
御父上の石破二朗氏は。
建設事務次官 参議院議員、鳥取県知事。鈴木善幸内閣において、自治大臣兼国家公安委員会委員長を歴任。 https://t.co/X2u3xW18Pr— 宮島正 (@yasuokajihei) June 23, 2024
息子の茂さんのブログの中で父・二朗さんの遺影を写した画像がありました。「なぜ政治家を志したか」のサブタイトルで書き込みされています。

石破二朗氏の遺影(石破茂ブログから)
二朗さんが亡くなる前のエピソードが詳しく掲載しています。二朗さんの友人、田中角栄元首相との最後のやり取りがとてもわかりやすく丁寧に書かれています。よろしければこちらもご覧ください。
鳥取 ArtDB Projectという鳥取県内の野外彫刻専門のホームページに二朗さんの知事時代をモチーフにした像が掲載しています。

石破二朗知事の像 鳥取市永楽温泉町に設置中
低めの椅子に腰を掛けた二朗さんの姿です。知事時代はこのような感じで佇んでいたのでしょうか。とても繊細に綺麗に作られています。
ただ一つだけ疑問があります。ホームページ内で掲載しているこの像の設置場所の住所なのですが、鳥取中央郵便局交差点は正しいのですが、「鳥取市富安2丁目」は少し場所がずれています。JR山陰本線を挟んだ向こうになってしまうのです。
これって気付いている方はいらっしゃるのでしょうか?私なりに正しいと思う住所をここに掲載させていただきます。こちらの地図で良いかと思います。

鳥取県に貢献した二朗さんへの敬意が込められているね
そんな父を持つ茂さんもその意思を引き継いでいるよ
あと、ホームページ内では「二郎」と記載していますが正しくは「二朗」です。
父・二朗さんの経歴を見ますといろんな職務を転々と移り実績を重ねてきました。それに対して息子の茂さんは政界に入り、これもまた様々な党や政権支持を渡り歩き、2024年9月現在では次の総裁選の候補者の1人として名を挙げています。

こうしてみるとやっぱ親子なんだなーって思うぜ
経験とか実績の積み方が似てるんだよな~

お父様もご子息もどちらも活躍が素晴らしいわね!
コメント
I genuinely enjoy reading on this website, it holds wonderful articles. “And all the winds go sighing, For sweet things dying.” by Christina Georgina Rossetti.
I do not eve knhow how I finished uup here, however I assumed this popst used to be
great. I do not unerstand whoo you’re however
cettainly you’re ging too a well-known bloggdr wheen yoou arre not
already. Cheers!
I know tyis if off topic but I’m loking intgo startibg
mmy owwn bllog aand wwas curiouys wha all iis neweded too get setup?
I’m asauming having a blog like yours wouuld cpst a pretty penny?
I’m not ery internet savvby sso I’m nott 100% certain. Any sugvgestions
oor advice would be grfeatly appreciated. Manyy thanks