石破茂の若い頃の伝説エピソード5選
石破茂さんは政治家として30数年にわたり続けています。その経歴はかなり多く、世間的により多くの人が知っていることかと思います。
では、政治家になるまでの若い頃の茂さんはどのような人なのかご存じな方はどれくらいいますでしょうか。
茂さんの両親やその家系、茂さんがこよなく愛しているもの、実は驚くこともありますが私たちにとっても親近感を感じるものだったりするのです。
ここでは、石破茂さんの若い頃のエピソードについていくつかご紹介します。
②父・石破二郎とはどんな人物?茂が育ったのは鳥取県
③国語教員だった母から毎晩偉人伝の朗読をさせられていた
④高校時代からアイドル歌手グループ「キャンディーズ」の大ファン!
⑤学生時代からの鉄道マニア!お気に入りの寝台特急を1000回以上利用していた!
伝説エピソード①:茂の出生時に病院は茂の父親の秘書を実の父だと思っていた!?
石破茂さんは昭和32年(1957年)2月4日に東京都千代田区にて産まれました。
今をときめく、石破茂先生
出生地は東京だったのね
鳥取県八頭郡八頭町出身だと思い込んでいた
— 猫之助 🐈⬛ 「敬牛🐃愛虎🐅2024」 (@nekonosuke4649) August 26, 2024
鳥取県出身と言われていますが、生まれは東京だったんですね。鳥取県に転居したのは翌年のことです。これについてはあとでお話します。
茂さんが生まれた時、父の二朗さんの年齢は48歳だったのですが、当時二朗さんの秘書だった高岩迪資さんによると以下のことがウィキペディアに書かれていました。
自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩を茂の父親と間違えたことがあったという。
二朗さんはほぼ病院に行くことはせず、秘書の高岩さんに任せていたことで、このようなエピソードが生まれたんですね。
ちなみに秘書の高岩さんの下の名前「迪資」はどのように読むのかな??
みちすけ…かな?
茂さんのご家族の構成にも驚きです。ご両親もご姉妹も皆、エリートなんです。
母・和子 ⇒ 元国語教員
長女 ⇒ 英語教員
次女 ⇒ 歴史教員
伝説エピソード②:父・石破二郎とはどんな人物?茂が育ったのは鳥取県
石破茂さんの生まれは東京でしたが、翌年の昭和33年(1958年)に鳥取県に転居しました。その理由はウィキペディアにこのように書かれています。
1958年に父・石破二朗が鳥取県知事に就任したため、鳥取県へ転居。中学校卒業まで鳥取県八頭郡八頭町で育つ。そのため茂には幼少期の東京での記憶がない。
石破茂さんの父である二朗さんの出身は元々は鳥取県であり、知事として最初に就任したのが1958年、1962年11月に二度目の再任、三度目が1966年11月、四度目が1970年11月で計4回鳥取県知事として活動をしていました。
1974年2月に知事を辞任し、同年7月に参議院議員として当選しています。
さて、その二朗さんとはどのような人物だったのか?
石破茂の父親は鳥取県知事や自治大臣を務めた石破二朗です。
— 我日本人 (@warenipponjin) February 15, 2024
鳥取県では知る人は多いかと思います。故郷の鳥取県に対して人一倍、思い入れがあったようです。
石破二朗さんのプロフィールを簡単にまとめましたのでご覧ください。
生年月日 | 1908年(明治41年)7月29日 |
出生地 | 鳥取県八頭郡(やずぐん)大御門村(おおみかどそん)大字殿 |
没年月日 | 1981年(昭和56年)9月16日 (73歳没) |
死没地 | 鳥取県鳥取市(鳥取県立中央病院) |
出身校 | 東京帝国大学法学部法律学科卒業 |
所属政党 | 自由民主党 |
さらに二朗さんのことをもう少し掘り下げた内容がこちらです。これでなんとなく人柄やイメージなど想像ができそうです。
二朗さんはとにかく経歴がとんでもなくすごい人でした。仕事一筋だったのではないでしょうか。その一方で義理や人情に厚い方でもあります。
ただの地方政治家じゃありません。
御父上の石破二朗氏は。
建設事務次官 参議院議員、鳥取県知事。鈴木善幸内閣において、自治大臣兼国家公安委員会委員長を歴任。 https://t.co/X2u3xW18Pr— 宮島正 (@yasuokajihei) June 23, 2024
息子の茂さんのブログの中で父・二朗さんの遺影を写した画像がありました。「なぜ政治家を志したか」のサブタイトルで書き込みされています。
二朗さんが亡くなる前のエピソードが詳しく掲載しています。二朗さんの友人、田中角栄元首相との最後のやり取りがとてもわかりやすく丁寧に書かれています。よろしければこちらもご覧ください。
鳥取 ArtDB Projectという鳥取県内の野外彫刻専門のホームページに二朗さんの知事時代をモチーフにした像が掲載しています。
低めの椅子に腰を掛けた二朗さんの姿です。知事時代はこのような感じで佇んでいたのでしょうか。とても繊細に綺麗に作られています。
ただ一つだけ疑問があります。ホームページ内で掲載しているこの像の設置場所の住所なのですが、鳥取中央郵便局交差点は正しいのですが、「鳥取市富安2丁目」は少し場所がずれています。JR山陰本線を挟んだ向こうになってしまうのです。
これって気付いている方はいらっしゃるのでしょうか?私なりに正しいと思う住所をここに掲載させていただきます。こちらの地図で良いかと思います。
鳥取県に貢献した二朗さんへの敬意が込められているね
そんな父を持つ茂さんもその意思を引き継いでいるよ
あと、ホームページ内では「二郎」と記載していますが正しくは「二朗」です。
父・二朗さんの経歴を見ますといろんな職務を転々と移り実績を重ねてきました。それに対して息子の茂さんは政界に入り、これもまた様々な党や政権支持を渡り歩き、2024年9月現在では次の総裁選の候補者の1人として名を挙げています。
こうしてみるとやっぱ親子なんだなーって思うぜ
経験とか実績の積み方が似てるんだよな~
お父様もご子息もどちらも活躍が素晴らしいわね!
伝説エピソード③:国語教員だった母から毎晩偉人伝の朗読をさせられていた
茂さんの母の名前は石破和子と言います。ウィキペディアでは以下のことが記載しています。
母親は、自身が国語教員だったということもあり、教育熱心な人物だった。小学校の頃は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をさせられた。
母・和子さんの教育熱心なところは和子さんの家系から引き継がれているように見えます。とくに祖父の金森 通倫(みちとも)氏からの影響が大きいです。
では、簡単に和子さんの家系について追っていきましょう。画像ですが家系すべての収集は不可能でしたが4人だけですがこちらになります。
「祖父」や「長男」といった肩書きは和子さんから見た場合としてご覧ください。
画像は白黒でわかりにくいですが、どことなく雰囲気が似ているように見えるのは私だけでしょうか。金森家の人たちは誰もが仕事で成果を出している人たちばかりです。
それぞれ進む道は違いますが、祖父の金森通倫氏から始まり子供たちは皆、すごい肩書きを持っています。
・キリスト教信者
・牧師
・板垣退助と政談演説をした
・大河ドラマ「八重の桜」のモデル
・妻は岡山出身の小寿(こひさ)という女性
〖長男〗金森 太郎 ⇒ 徳島県知事・山形県知事 ⇒ 〖娘〗和子(石破茂の母)
〖次男〗金森 次郎 ⇒ 山之内製薬取締役
〖三男〗金森 五郎 ⇒ 郡山精神病院院長
〖四男〗金森 九郎 ⇒ 東京工業大学教授寿々枝
寿々枝
三寿
四寿子
※以降は不明
実際に茂さんは今は大変な知識を持ち政治家となっているよね
お母さんの影響はあったのかもしれないね
伝説エピソード④:高校時代からアイドル歌手グループ「キャンディーズ」の大ファン!
石破茂さんは政界屈指のアイドル通を自認してまして、中でも特に高校時代からアイドル歌手グループ「キャンディーズ」の大ファンのようです。
石破茂といえばキャンディーズ
— ゆっくり マーキュリー@アバパー兄さん (@2010chychy24) August 14, 2024
茂さんはインタビューでも何回かアイドルのことやキャンディーズについてファンであることの持論をこう言っています。
私は、ランちゃんより二つ年下。ミキちゃん、スーちゃんより一つ年下です。
さらにこのように話していました。
ほぼ、同世代ですから、キャンディーズが歌手デビューした1973年には、私は男子校の高校2年生。まさに、キャンディーズらのアイドル全盛時代に、青春時代を過ごしました。
キャンディーズは1970年代に活動をしていたアイドルグループですが、世代によっては詳しく知らないと思われる方もいるのではないでしょうか。
ランちゃん、ミキちゃん、スーちゃんの愛称で呼ばれていた3人組がリリースした曲は、数々のヒット曲を生み出した伝説のアイドルグループということは間違いありません。
では、キャンディーズとはどのようなグループだったのかを簡単にまとめましたのでご覧ください。
活動期間が意外に短かったにも関わらず、現代でも語り継がれるほどの人気だったというわけです。平成、令和へと数多くのアイドルグループが世間に出ていますが、キャンディーズは昭和を代表するアイドルグループとして大きな功績を残しました。
茂さんは当時の青春時代の一つとして忘れることなく、今でも語り続けています。
私は「ミキ派」です。パッと見で誰が一番いいかといえば、ミキちゃんでしょう。一番美人だし、歌がうまい。父親は声楽家で、母親はピアノの先生。音楽一家で育ったということです。ランちゃんは妖艶で、例えばお付き合いしたら大変だろうと思いながらひかれてしまう。スーちゃんは、お付き合いしたら一番楽しいだろうなという感じ。隣のクラスにいそうな、かわいい3人の女の子だった。
キャンディーズは容姿がかわいいだけではなく、歌もうまかったです。時代が過ぎても「この曲知ってる!」と思う人はいるのではないでしょうか。
例えば下のシングル曲の一例ですが、あなたがご存じの曲はありますでしょうか。
実はキャンディーズの中でも現代のグループでも言われているセンター争いがあったことは知っていますか?まあ、「争い」と言ってしまえば穏やかではなくて、そこまで激しいことではありませんが、曲によってセンターポジションを変更している時がありました。
全曲の大半はランちゃんがセンターに立っていますが、これもキャンディーズを売り込むための戦略の一つだったようです。
例えば、下の17枚目のシングル「微笑がえし」はランちゃんが基本センターなのですが、途中でミキちゃんと入れ替わってセンターに入ったり、スーちゃんと入れ替わってセンターに入るなど、全員のセンターを見ることができます。
動画はこちらです。↓↓↓
この動画を見るだけでもキャンディーズがなぜ人気があったのかわかるような気がしますし、最後のランちゃんの生声がとても若々しくてかわいいですね。
茂さんがキャンディーズの虜になったことも納得ができます。
私の好みは、美人で控えめで芯の強そうなミキちゃん。もう時効だと思うので白状すると、同級生の悪童何人かで、キャンディーズが出ている広告の車内吊りを失敬したことがありました。
失敬?パクってんのかよ!(笑)
まあ!!(笑)
家に持ち帰っていないので私は主犯格ではありません(笑)。彼女たちは青春の象徴ですね。同年代の議員仲間と年に2回ぐらいカラオケに行くと、歌うのはやはりキャンディーズが中心。私はシングル全曲をそらで歌えます。天国にいるスーちゃんも含め彼女たちに会えたら、「一緒に歌いましょうよ」と言いたいですね。
天国?なんだ、スーはいねーのか?
すでに亡くなられたそうよ
そうなのか…それは悲しいな
キャンディーズは3人そろってキャンディーズなわけであって、仮に、藤村美樹さんが伊藤蘭さんと一緒にやることがあったとしても、2度と“キャンディーズ”であることはないわけですよ。
さすが石破さん…ファンだけによくわかっていますね
やはり、(ファン)それぞれの心の中にいればいいものなんだと、私は思っているんですね。
茂さんのキャンディーズ青春時代のあとに悲しい出来事があったのが、2011年(平成23年)4月21日にメンバーの一人だったスーちゃんこと田中好子さんが乳がんのため死去しました。55歳でした。
その時の茂さんの言葉がウィキペディアでこのように記載しています。
本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ
とコメントしています。さらに動画の中でもスーちゃんについて茂さんがコメントしています。
キャンディーズのランちゃんが解散宣言をしたセリフで「普通の女の子に戻りたい!」にちなんで、茂さんがこのようなことを漏らしていたことがありました。
キャンディーズに及びもつかないが、普通のおじさんに戻りたい。
かと言って国のことや自身の立場から逃げたいというつもりではないのでご心配なく(笑)
SNSでも茂さんとキャンディーズについて様々なコメントが挙げられています。
石破茂が鉄道とキャンディーズの話をするYouTubeチャンネルを開設して欲しい
— 駱駝 (@camel_ys) September 10, 2024
石破茂んちに行ってキャンディーズの追っかけだったときの話とか聞きてぇ
— じんじん人事委員 (@JINJIN) August 23, 2024
あと、このようなコメントが出ていますが、これって本当に茂さんなのでしょうか。
石破茂は、キャンディーズファンで有名だが、こんなところにキャンディーズと一緒に写っているとは❗なんちゅう奴やw。 https://t.co/5AEwvmFOae
— 堤 和紀 (@avenir_blastar) July 19, 2024
これについては、ウィキペディアにこう書かれています。
キャンディーズが1977年6月に行った「朝霧高原バスツアー」の際に撮影された記念写真において、スー(田中)の隣に若き日の石破が写っている、という話がwebで語られているが、該当の写真に写っている人物は別人である、と石破本人が否定している。
それは私ではありませんね。
そうなんだね、じゃあみんな誤解のないようにね!
伝説エピソード⑤:学生時代からの鉄道マニア!お気に入りの寝台特急を1000回以上利用していた!
茂さんは大の鉄道ファンでマニアと言われるほど知識も豊富です。地元の鳥取と東京を結ぶ寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」を利用する姿も見かけていますが、中でも特に思い入れがある寝台特急についてウィキペディアにはこのようなことが書かれています。
「サンライズ出雲」の前身でもあったブルートレイン時代の「出雲」は自身の高校受験での上京から学生時代、国会議員時代を通じて1000回以上利用したことがあるという。
1000回…といいますと大げさに言っているように思いましたが、実際に茂さん本人が言っているのと、鉄道が好きでたまらない様子から案外本当なんだろうな、と思います。
ブルートレインの出雲は現在は走っていません。茂さんはこの頃から好きだったために今でもこのようなことを言われています。
(ブルートレイン時代の出雲は)もう絶滅しちゃってね……。
そして、このようにはっきりと言っています。
これ好きだったね。1000回は乗ってたんですね。
その魅力は「鉄道」、「旅」、「非日常感」として、
夜走るんですよ! 自分の空間だから10時間は、もう酒を飲もうが、読書しようが『これ、私の時間だ!』ってのがあってね。蘇生するのよ。
このコメントに対して、SNS上でこのような反応がたくさん出ていました。
1000回って凄いな…。
しかも出雲って名前がカッコイイ
ホームやブルートレインの中で、石破さんを何度もお見かけしました。
いつもいらっしゃいましたね。私も出雲に乗って帰省していたんです。
そうですね、自分が一息付ける時間があるといいですね!
人間味溢れる石破茂さんの素敵な趣味の話をありがとう<(_ _)>御座います。
そんなに乗れたなんて、羨ましい…
石破さんの話、めっちゃ分かるわぁ
寝台特急いいですよね!自分の空間というのわかりますね
茂さんの鉄道愛に対して様々な共感する言葉が、溢れるほどネット上に広がっています。先ほどの茂さんの言葉は、Xで語っています。
大好きな鉄道について語りました。 pic.twitter.com/oqkYYeNvnT
— 石破茂 (@shigeruishiba) September 8, 2024
ブルートレイン時代の寝台特急「出雲」はみなさんは乗車したことがありますか?「どちらかと言うと乗ったことがないし、よく知らない」という方のために簡単ですがどのような列車なのかまとめてみましたのでご覧ください。
車体の先端に取り付けられているヘッドマークとはこのようなものです。
ブルートレイン時代の出雲は時期によって様々な姿を見せてくれていました。ここではわかる範囲でいくつかご紹介しますね。
晩年では出雲のマークもすっかり汚れと錆になると同時にその役割を終えようとしたのかもしれませんね。
全国でブルートレインが廃止になったのは2014年と言われています。時代と共に私たちの記憶として青い伝説は残り続けています。
ブルートレイン時代の出雲の貴重な動画が配信されていましたので、その雄姿をご覧いただければと思います。これを見て懐かしい、と感じる人はどのような想いでしょうか。
時の流れによって消えていったブルートレインは今でも茂さんの心の中にいつまでも残っています。
石破茂の幼少期から政界入りまでの年表
ここまで石破茂さんのエピソードを紹介してきましたが、幼少期から政界に入るまでを時系列でご覧ください。
衆議院議員に初当選した当時の茂さんは、
全国で最年少の国会議員だったようです
石破茂のプロフィール
生年月日 | 1957年2月4日 |
年齢 | 67歳(2024年9月時点) |
出生地 | 東京都千代田区 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 |
前職 | 三井銀行(現:三井住友銀行)行員 |
所属政党 | 自由民主党(田中派事務局職員→中曽根派→渡辺派) →新生党 →新進党 →自由民主党(平成研究会→無派閥→水月会) |
称号 | 法学士(慶應義塾大学・1979年) |
配偶者 | 石破佳子 |
親族 | 祖父・石破市造(大御門村長) 父・石破二朗(公選第4-7代鳥取県知事、第28代自治大臣、第38代国家公安委員会委員長) |
公式サイト | 石破茂オフィシャルサイト |
まとめ
ここまで石破茂さんのエピソードをご紹介してきましたが、中でも父・二朗さんや母・和子さんの家系からエリートと呼んでもおかしくないほどの聡明な方々がずらりと並んでいたことに驚きました。
茂さんも長年政治家として従事されていますが、2024年9月下旬の自民党総裁選の候補者の一人として重要な時期に来ています。
世論調査から試算した支持数によりますと、茂さんを含めて小泉進次郎元環境相や高市早苗経済安全保障相との三者で競り合っています。
場合によれば二者択一で決選投票になるとも予想していますので、結果が出るまでは目が離せないこととなっています。茂さんには是非、がんばってほしいと思っています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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